さて、このマルガヒルズの製品の全てを企画立案からデザイン製作までを手掛けた親方は
いったいどんな人だと思いますか?
今暴かれる親方の実像に迫る!!!
愛称: 「がっちゃん」 もうかれこれ20年近く親しい人はみんなこう呼ぶ。
出身: 千光寺のふもと(これで分かる人はケッコウ瀬戸内通かも・・・)
年齢: けっこうヲヤヂのくせに若ぶって「若いですね」と言われていい気になる傾向にある。
ジャン・トットよりは若いけどミハエル・シューマッハよりは年寄り。
血液型:A型で、理路整然とした判断でいつも冷静沈着なつもりで居るから始末が悪い。
家族: 妻子あり しかし奔放な生き方ゆえ、既に見捨てられているという見方もある。
趣味: 趣味に取っておくべき事を仕事にしてしまった事をいまだに後悔している。
〜親方を知る上でのいくつかの重要な情報〜
・車輪の付いた物なら何でも好きらしい
○ミニカー
1/43のダイキャストモデルが大好きで、コレクターのレベルではさほど多くはないが物心付いた頃から集めている。確か、一番最初に買ってもらったのは、ディンキーのシボレー・インパラ(440円)。
当時から改造大好きであった為、マニアに高価格で取引されるようなコンディションのものは少ないがメイクアップミニカーコンテストでは底力をみせていたという。
○自転車
その昔、テントを積んであちこち旅したらしい。その為にフルキャンピング車をオーダーで造ったが、ちゃんとした知識もないくせにミーハーだったからレイノルズ531で、しかも足が長いと言いたげにシートチューブ570mmで造ったもんだからフル装備でウイップが激しくて相当乗りにくかったらしい。それでも、頑張って高校時代はインターハイとかにも出没して大宮競輪場のバンクで派手に落車した経験もあるそうだ。
現在は、大昔のコルナゴのフレームにフルカンパのヲヤヂポタリング仕様の自転車にのって朝、町内の散歩をしているとか
○カート
ほんのかじった程度なので語るべきものは何もないが、カートがJAFの管轄になる前にJKA(日本カート協会)というのが有った事を知る人は少ない。親方はJKAのB級ライセンスという奴を持っていたと言うから年がばれる。鈴木亜愚狸はどうか知らんが、少なくとも鈴木利男は、それで走っていたと記憶している。
○バイク
誰でも一度はハマるバイクだが、ガキの頃はCB450というとこれまた年がばれる。
一通り街乗りに飽きた頃からお決まりのエンデューロ→モトクロスとハマり、ロードレースをかじりだし、某メーカーに居るのをいいことに最後は国際A級を取得し、F1で8耐にもライダーで出ていたらしい。
○クルマ
免許を取る以前からブルーバードP510のサファリ仕様に異常な愛情を感じていたというので、これも年がばれる。ホモロゲーションが切れるまで何台ものP510を谷底に送り込みながらもラリーを続けて、当時の最新鋭機をボロボロのP510で追い回すのが生甲斐だった時代があるという。
オンロードの方は、ラリーでの成績を買われプロダクションのB110サニーに乗せてもらう機会はあったが、金が無かったので断念した悲しい歴史がある
〜親方の職人的側面〜
当人は一応デザイナーだと当人は思っているらしい・・・・・・
小学生の頃、「将来の夢はカーデザイナー!」とほざいては周囲から「寝言は夜言え」と相手にされていなかった。しかし、一念発起して大学受験の時に「美大に行きたい!」と言うも、親も担任も本気にはしてくれなかった。そして、母は言った。「あんた、美大言うもんは美術の成績の良い子が行くもんよ!」と言われて一瞬ひるんだ。 しかし、代々○ゼニナールの講習会が効いたのか、無事に某
山奥の美大に入り、しかし勉強もせずにモータースポーツに明け暮れていた。それでも入れてくれる企業があったから世の中は面白い。
・ 今も尊敬する空力の師匠
某メーカーで8年を過ごした後で、由良○也師匠の下で数年間の修行の為に働いていた。といっても大したことは出来なかったが、しかし、空力的なことではかなりの勉強になった。とりわけ “空気なんて見えねえんだから自分の気持ちイイ形を作っとけば、あとは空気の方でそのように流れてくれる” というような我田引水型のいい加減なモノ造りでも世の中には通用するのだという事をきっちり教えてくれた人である。とはいえ、世の中結果が全てである。あんないい加減な形の決め方でも性能さえ伴えばそれが正論となるのである。
師匠!ウチのエアロかてきっちり性能でてまっせぇぇぇぇ!!
・
なんでも自分でやりたい性格
自分の車を綺麗にしたくて塗装を覚えた。自分のマシンを金をかけずに速くしたくてポート研磨を覚えた。自分のマシンのタンクが作りたいばかりにアルゴン溶接の薄板溶接まで覚えた。形を造る事に関しては、クレイモデルでも木型でもウレタンでもパテ造形でもCADの面創生でもこなす。
しかし、悲しいかな金の稼ぎ方は最後まで習得できなかった・・・・・・
・そして親方は今?
その行方は、誰も知らない
どうやら、今はアフリカで次なる飯の種を探しているとの噂もある。
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